わたしの癒し( ・᷄֊・᷅ )
自分が癒されている時間を振り返るとそれは間違いなく推しを眺めてる瞬間だろうなあ、と言えてしまう
いつから生きてく上で推しの存在がないとだめになったのかを振り返ると、まず、
次元限らず好きなアニメのキャラとかグループのアイドルだったりそこの分別はない
ジャニーズもKPOPもどっちも好きだしね。
最初は小学5、6年の頃、HUNTER × HUNTERのキルアがすごく好きだったかな
…連載再開の見通しはないですねえ^ ^
その当時で言うと、友達とAKBにはまっていて自分は大島優子が推しだったかな、下敷きとかシールを持ってて、憧れだった。
結婚おめでとうございます、お子さん絶対美形だろうな。決まっているよね。
それに同時期、
姉が嵐ファンだったから、嵐も何となくテレビでよく見てて、んでトークも面白いし歌もかっこいいし好きになっていって、
ライブ行く程までではなかったけど、嵐見てるのが楽しい時間になってたよね
他にも歌い手だったり、いろんなアニメ漫画読み漁ったりして好きなものが増えていってた中高生時代が流れて、
あれかな、
決定的だったのは、
嵐が活動停止になってから、嵐がない生活?ちょっと想像つかん。ってなって
実際 休止するって決まってからの活動見てるのがすごく寂しくなって、アイドルの存在って自分の中で生きるエネルギーの糧になってたんだなって気づいたんだよね
だから、
推し燃ゆ、っていう直木賞とった本の内容に、推しは自分の背骨であり、なくてはならない存在。という文に、大げさに思える表現かもしれないけど共感できたりもする。
それに嵐の最後の冠番組が終わっていくにつれての畳み掛け具合が、
本の中でも主人公の推しのラストライブの時に(ネタバレになっちゃうかも)、終わってしまう、わたしの背骨を奪わないでくれ、もっと推していたかった、とまさに死活問題のような主人公の心の内とすごくリンクしてしんどいって感じた。
ほんとにあの主人公は推しがいなくなったらどうなってしまうの、と心配する程に。
最後は、まあ少しは自分の生きてく姿勢を見つめ直していこうと、僅かな希望が見えつつ終わったんだけど、読んで良かったなと思える作品でした。今の時代に合ってると思う。まあそれはそれとして、
嵐の番組が終わって、5人が見れなくなって、
それから今では他のいくつかグループの推しが自分の癒しになって、生活できてはいるけど
少しSNSで推しの顔が見れたら口角上がってて、ああ頑張れるなあ、って気持ちが湧いてくる。
だけどちゃんとライブに行けたことがないし、
今年は申し込みしてみたけど全部落選してしまってオタクつらい、とは思うんだけど、
それでも追っていたいし、会えた時は本当に感動するんだろうな、想像だけで泣けそう。笑
自分は小さい頃から人見知りでシャイだったから当時は人前なんてまるで無理と思ってたけど、
アイドルになりたいという願望もほんのちょっと、雀の涙程度にはあったかもしれない。もう歳食ってからそう思っても遅いんだけどね笑
大人しい子供だったのに、自由帳にステージに立つ絵を描いてたな、と時々思い出す
これほんとにブログだから書けることであって、
友達とか家族には恥ずかしくて言えない笑
なんか、だからちょっとアイドルに憧れもあるんだよね
プロジェクトとか見てても過酷なのわかるし、大変なのも知ってるんだけど。
なんでだろう、自分でもよく分からないな
とりあえず今の自分は、推したちが支えになってるよね
本当にいやされる
1人には絞れないんだよね、
自分の背骨は、あの主人公みたいな図太い1本の背骨じゃなくて、何本もの骨でできた背骨だから
もし誰かしら活動が終わったとしても、死活問題にはならないのよ
推しがまだいるから生きてられる^ ^
そう考えると2次元は強いな、架空だから永遠に愛されるじゃないか、、
他のお題でも推しの好きなとこ十選というタイトルで永遠に語っていられそう笑
今回はこの辺でやめとこうか笑
おやすみん
なぐりがきれぽ
延長したかったけど結局3冊貸りていた本を返しに歩いて図書館に。
ひとりで朝から歩くの、この冷たい気温も相まっていい時間だったな
それで返したついでに何冊か適当に読んでたら、[自分はバカかもしれないと思ったときに読む本]っていう題名の本をざっと読み切ってしまって、
返却してすぐ帰る予定だったけど図書館の雰囲気といいこういう場所が好きだから午前中が終わったよね。
その本、14歳向けとかなんだけどすごい今の自分のためになるようなことが書いてあって
学生の時も、周りの友達よりも自分は社会で生きてくスペックが低いのかな、自分って怠け癖もあるし駄目な人間なんだな、とか心の底では思っていて
実際今の仕事では一人前にはまだ程遠いし、もしかしたら何年やり続けても自分はなれないんじゃないかな、って毎日思う。
でもその本には、馬鹿なんてことはただの決めつけであって、目標設定があってそのために何か積み重ねて成果があげられてない状態なだけ、と大まかな要約なんだけど
たしかに小学生の頃はかけ算99だったり漢字の読み書きだったりできる子とできない子ってけっこう差ができてたし、できない子=馬鹿っていう目でみんなからそう思われてたかもしれない。
もしかしたら練習をさらに続けてたり、アプローチを変えて良い点数が取れて、頭が良い子だと思われて周りの目がガラッと変わることだって全然あり得たよね
それで勉強にしても運動にしても、なにかを習得するのには決してかけた時間と比例関係にはならないという。必ず熟成の期間があって、その期間がしんどいのだけれど
急にスッとできる、習得できるようになるのだと。グラフにするなら階段みたいな。
でもその時がいつ来るかがほんとに果てしないよね。突然できるように、なんて何十年なら根気が持たん。
そうなる前にやめてしまうと出来ないままで終わってしまって何も残らない。つまり努力に費やす時間は必要不可欠なんだね。
プロアスリートやピアニストはおよそ一万時間をかけて次元をこえたパフォーマンスを職にできてるけど、毎日3時間、1ヶ月100時間それを何十年とやり続けると思うと本当にしんどいな。
自分も仕事を含めて、できるようになりたいことがいくつがあって。
その本にはやり続ける上でこうしたら頭の良い人に近づけることがまとめてあったから忘れないうちに書く。
・思い込みで物事を1つの視点で考えない
・濫読すること
・こだわりをもつこと
・集中する時間をもつこと
・成果が出ないなら別の環境に自分を置いてみる
(何かしたらの理由がある)
・楽しみをもつこと
・成功してる人は根気がある人が多い
こだわりとかあまりなくて、何でもいいや〜っていうのが多かったけど持つようにしてみる
環境ってあるけどこの本の著者の体験談も面白かった。置かれる環境とかその時の先生ってほんとにその人の人生左右する。
著者が小学生で外国にいた時は必死に英語に慣れようとしてたのに、今度は日本に帰ってきて、漢字できなくてちゃんとできるように追いつくように勉強したのはシンプルにすごいと思ったし、著者さん大変だなあ、と笑
自分だったら放棄しそう。笑
最近はお仕事続けていく自信が湧かなかったし、ネガティブなことばかり考えちゃってたけど
コツコツやっていき続けないとわからないし、
自分がどこまで出来る人間かって結果にならないと見えてこないよね
物事は結果論でしか計れないっていうのは大げさなんだけど後々になって、あの時はああだったから仕方なかったよ、みたいに思うことが多くて。
今してることがそういう後悔じゃなくて、いつか身になるための糧につながったらいいのにね
そうなるよう頑張るけどさ、
努力は必ず報われるって言葉、嫌いなんだよね
自分が報われるほど頑張ってないからかもしれないけど、ちょっと違うと思ってしまう。
それを言う人って成功者側じゃん、
こっち(報われてない側)は、努力していく中でどうやったらそっちに行けるのかが知りたいのに、
極論、必ず報われるって。
嘘つくなよっておもうよ
せめて必ずはつけない方がいいと思うし
保証がないのもわかってるし
どうやって、なんて誰かに聞くのが間違いなのもわかってる
でも報われた人がいる中でどのくらいの人が諦めていったんだろうって
考えるけど、数値化して見たいものじゃないかな
だから自分は、報われたいとは思うけどその言葉には縋らないな。
この本とかビジネス本とか読んだ方がずっと身のためになるしさ、
いやに現実的だよね自分って。
読み終わったあと、
少し地に足が着いた気がしたもんね、笑
また図書館いきます ^ ^
0時超えちゃったよ
何日かおきに、日記みたいにその日の出来事とかをノートに書いてたんだけど
やっぱり紙に書いちゃうと、本音が全て確かな証拠として残っちゃうし、
親に読まれたらとかヒヤヒヤしちゃって 書きたいこともひよって書けないので
なんか深夜の浮かれた成り行きでブログつくってしまった
気ままにやってこう
てかほんとに無料なのかな?笑
今年から働きはじめて、この頃は夜更かしが楽しくて。
SNSとか貯めてある録画とか、ミラーリングでテレビにYouTubeうつして好きなの見たり
そんなことしてるとあっという間だよね時間過ぎるのは
学生のときは9時には寝てたのになぁ
今じゃ9時に夕飯の時間だよ
そこからが楽しい夜ってゆう、笑
1日2食生活になってから 夜に暴食したくなってしまう
ポテトチップス開けたくなる。
いや我慢するんだけどさ。
肌に良くないしね〜
気づいたらこんな時間 明日休みだとこうなるよね
最初から書きすぎると続かないんで
あと残りの充電が10パーなので
この辺にしとこ
寝るね。